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プラトンのパイドロスを読んでみた【感想】弁論術の在り方

プラトンのパイドロスを読んでみての感想

パイドロスを読み終えたので、感想を書いていきたいと思う。しかし、プラトンについての理解がまだまだ浅い私にとって感想を書くことさえも難しく、内容を正しく理解できているのかも覚束ない。その点を自身でも踏まえた上で、パイドロスの感想を書いていく。

[パイドロス]の内容

パイドロスとは対話篇としてまとめたられた話で、ソクラテスとパイドロスが川のほとりで恋と弁論術について語り合うという内容である。物語は、リュシアスという当時の高名な弁論作家が書いた恋にまつわる文書を、パイドロスがソクラテスに話し伝えることから始まる。リュシアスの主張はこうだった。恋をしているものよりも、恋をしていないもののほうが相手を幸せにできる。恋をしているものはまともではない。これに対しソクラテスは、リュシアスの主張をさらに深いところまで掘り下げた上で、反対の主張を展開する。また、恋にまつわる議題から弁論の在り方にまで話を繋げ、弁論術とはいかようにあるべきか?というところまで問題提起を続けた。そして、本書パイドロスでは、弁論術とは真理を追求しなければならない=ディアレクティケー無しでは成り立ち得ないという結論に至る。また、前半で論じられた恋の議題に関しても、恋とはイデア(真実在)を知ることであり、それ無しには恋は成立しないという結論に至った。つまり、パイドロスでは恋と弁論術という2つの主題が分かれて存在するかのようにおもえるが、その実は根っこの部分=哲学でつながっており、どちらにせよ真実在を求める姿勢こそ人を救うという帰結で結論づけられている。

 

【感想】プラトン著作[パイドロス]

それでは、プラトンのパイドロスを読んでみての感想を述べていきたいと思う。正直なところ、一度読んだだけでは深いところまで理解できているのか怪しいし、これを書いている今も[パイドロス]の何をどう理解したのかあやふやな状態だ。でも、一度読んだ書物に対してなんも感想も持てなければそれを読んだ意味がないし、大切なのは読むことではなく読んで自分がどのように思ったのかだと思うので、あやふやなりに感想を書いていきたいと思う。

パイドロスの中で強く共感できる「弁論術の在り方」

パイドロスの中で強く共感できたのが、作中でソクラテスが話した弁論術の在り方について。ソクラテスは、当時に流行していた弁論術を批判しながら本来の弁論術の在り方について意見を展開する。要約すると、当時の弁論術は大衆を説得するために使われるいわばテクニックのようなもので、そこに徳の意識はなかったらしく、ソクラテスはそれを痛烈に批判した。徳の無い弁論術を批判し、弁論術とは徳に向かってこそ意味があると主張。弁論術の在り方とはそういうものであるといった。私はここに共感できた。純粋な議論の上にのみ哲学が成り立つのであり、そこに大衆へのおべっかや個人の強が入ってしまったら、それは哲学ではない。相手の顔色を窺っていては本質に辿り着けないし、個人の強欲のために使われる技術は徳を持たないからだ。これを受けて私は思ったことは、善い人間=徳を意識するものである限り、正しい弁論術の在り方を忘れてはいけないということ。個人の強欲やおべっかにばかり意識を持っていかれていては、徳を積むことなどできない。ただひとつここで断っておきたいのが、私はそこまで自分に厳しくありたいと思っているわけではないこと。ソクラテスの意見には同調するし、確かにその通りだと思うけど、欲が蔓延る現代を生きるためには、哲学の通りに生きることはできない。せめて、自分の意識の中にとどめておくこと、そう在ろうとする思いだけは忘れないこと、私にはそれで精一杯だからだ。

正直良く分からなかった2頭の馬の話

パイドロスで有名な2頭の馬の話がある。片方は欲望に忠実なあばれ馬で、もう片方は理性に忠実で主人の言うことを素直にきく馬だ。そして、それらの手綱を引いているのが叡者である。この部分の話は正直なところ良く分からなかった。分かったのはあばれ馬に苦労させられる叡者と素直な馬ということだけ。なんとなく理解したのは、あばれ馬が本能の欲望ってこと。神話的なニュアンスが強い話は苦手なので、この話は読んでいてきつかった。詳しい人にかみ砕いて教えてもらいたい。

イデア論と現代の恋愛

プラトンといえばイデア論が有名である。パイドロスの中でも登場し、恋愛とイデアの関係についてソクラテスが語った。要約すると、人間は人間界に降りる以前に美のイデア=本当のうつくしさを目撃しており、人間界で美しいと感じる瞬間とは、その美のイデアを想起しているのだということ。イデアとは真実在を意味するのだけど、美のイデアだけは毛色が違う。美のイデアは、勝手に向こうからやってきて人間を狂気に導いてしまうであり、つまり恋をする=美のイデアを想起させられる=真実に近い感情を思い起こされるということであって、恋をする姿は一見狂気的に映るけども、実は真実在=イデアに非常に近いところにあるということだ。哲学が真実に近づくものだとすれば、恋したものはかなり真実に近い場所にあるため、哲学上ですぐれたものと言えるのかもしれない。なんとなく自分の言葉に変えてみると、「狂気をするほどの恋は良いこと」というような気がする。だって、美のイデアに従って行動をしているわけだから、本質的ということである。この前に書いた記事に通ずるところもあるような。

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プラトンのパイドロスを読んでみての感想をまとめ

パイドロスは、プラトンの書物の中でも恋愛に特化した本であるといわれているけど、どちらかというと弁論術のほうが印象に残ったかなーという感覚。パイドロスの中でも良く分かるのは、ソクラテスが持つ徳に対する意識の強さ。当時の弁論術を批判するソクラテスは、徳への意識の無さを嘆いている。弁論術を言葉遊びに変えてしまう愚かさを皮肉し、正しい弁論術の在り方までパイドロスに諭した。そのソクラテスの強さは、反面、個人の強欲が徳をどこまでも塗り替えてしまうことを示しているような気がする。まとまらない感想で申し訳ないが、この辺で終わり。パイドロスは対話篇で非常に読みやすく、2日もあれば読み終えてしまうので、プラトンを初めて読むという人にもおすすめである。

パイドロス (岩波文庫)

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